夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』は、非常に複雑に構成されています。
「読めば精神に異常をきたす」という前評判どおり、読み終わったあとも楽しませてくれます。
この記事では、いろいろな解釈が可能な小説『ドグラ・マグラ』を、どのように解釈するのが自然か?という観点から、仮説を立てて考察しています。
★『ドグラ・マグラ』の解釈に正解はない
『ドグラ・マグラ』は、物語の語り手である「私」が精神病であるため、何が正しくて何が間違っているのか、非常にわかりにくい構成になっています。つまり、書かれていることはじつは現実ではなくて、「私」の夢かもしれない、という意味です。
なので、『ドグラ・マグラ』の読み方には正解がありません。
100人が読めば100通りの読み方があるんですね。
そこで今回、独断と偏見により、私が勝手に解釈してみようと思ったのです。
あなたも「こういう解釈もあるんだなぁ」ぐらいに思って読んでください。
★不確定要素を確定させる
『ドグラ・マグラ』を解釈するには、本文中の情報で確定できない要素を、とりあえず確定してやる必要があります。つまり、仮説を立ててみるのです。
『ドグラ・マグラ』の解釈に正解はありませんが、不確定要素を確定させると「正解らしきもの」は見えてきますよ。
『ドグラ・マグラ』の重要な不確定要素は以下です。
『ドグラ・マグラ』解釈のカギとなる不確定要素
- 物語の冒頭、主人公が目覚めた日時はいつなのか?
- 最初と最後の「ブーン」という時計の音は、同じ日時のものなのか?
- 作中の『ドグラ・マグラ』と現実の『ドグラ・マグラ』は同一内容なのか?
- 作中の『ドグラ・マグラ』は、いつ書かれたのか?
- 主人公「私」は誰なのか?
- どの部分が正気で、どの部分が離魂状態なのか?
順番に解説しますね。
(1)物語の冒頭、主人公が目覚めた日時はいつなのか?
本文中の新聞記事に書かれていたとおり、正木博士が死んだ日時は大正15年10月20日ですよね。
物語の冒頭、主人公「私」は時計の音で目が覚めます。主人公は「私は誰なんだ?」という記憶喪失の状態で、とりあえずパンとサラダを食べます。それから若林博士と会話して、散髪して、風呂に入れてもらったりする。
このときの日時は、いつなのでしょうか?
髪の毛がボウボウと伸びて、爪も伸びて、体には垢がたまっていた、という記述から、最低でも1か月~3か月ぐらいは意識がなかったとみていいと思います。
また、主人公は10月19日に精神病患者殺傷事件を起こしましたが、同じ日に、壁に頭をぶつけて流血、呼吸停止して死にかけました。それなのに、散髪や入浴の際、彼は前頭部の痛みを感じていません。おそらく、数週間から数か月の時間が経過して、傷が治ったのでしょう。
以上の情報から、物語の冒頭、主人公が目覚めた日時は、とりあえず大正15年11月20日前後という仮説を立てます。
(2)最初と最後の「ブーン」という時計の音は、同じ日時のものなのか?
作中の『ドグラ・マグラ』の説明時、若林博士が言うには、「最初と最後の時計の音はまったく同じものでありうる」ということでしたね。
この「ありうる」というのがクセモノなのですが、まったく同じ時刻の同じ音だとして、仮説を立ててみましょう。
最初と最後の時計の音がまったく同じものだとすれば、『ドグラ・マグラ』の数百ページにおよぶ内容は、すべてが一瞬で過ぎ去ったことになります。まさに「夢」のようなものです。
『ドグラ・マグラ』の内容すべてを、主人公が一瞬で回想したのだとしましょう。もしそうなら、それらはすべて一度は体験したことがある事実であり、つまり主人公の「記憶」ということになります。
というわけで、夢野久作が書いた『ドグラ・マグラ』は、その数百ページにおよぶ内容すべてが、主人公によって一瞬で回想された記憶であるという仮説を立てます。
言い換えると、主人公が一瞬で考えたことを、数百ページの文章で詳細に説明したのが、夢野久作の『ドグラ・マグラ』だということです。
(3)作中の『ドグラ・マグラ』と現実の『ドグラ・マグラ』は同一内容なのか?
この小説のキモですが、夢野久作の『ドグラ・マグラ』には、本文中に同名の小説が登場します。
※作中の『ドグラ・マグラ』を書いたのは、おそらく呉一郎です。
ですから今回は、区別するために、夢野久作の『ドグラ・マグラ』と呉一郎の『ドグラ・マグラ』と書き分けます。
そして、夢野久作の『ドグラ・マグラ』と呉一郎の『ドグラ・マグラ』は、同一内容として考察を進めます。
なぜなら、これらを同一内容と考えたほうがミステリアスでおもしろいからです。
(4)作中の『ドグラ・マグラ』は、いつ書かれたのか?
では、呉一郎の『ドグラ・マグラ』は、いつ書かれたのでしょうか?
これは物語の構成を理解するうえで、非常に重要な問いです。
呉一郎はもともと頭脳明晰であり、さらに精神病患者特有の驚異的な記憶力と集中力をもっています。つまり、今までに経験してきたこと、人のセリフから新聞記事の内容まで、すべてを詳細まで記憶しており、それを一字一句間違えることなく紙に書き出すこともできるということです。
呉一郎の『ドグラ・マグラ』には、当たり前ですが、頭の傷が治った状態で散髪するシーンが書かれています。ということは、呉一郎の『ドグラ・マグラ』は、頭の傷が完治するぐらいの日数、つまり数週間~数か月が経過したあとに書かれたものだと思われます。
頭をケガしたのは10月19日なので、呉一郎が『ドグラ・マグラ』を書いたのは、11月20日以降であると仮説を立ててみます。
(5)主人公「私」は誰なのか?
ネット上の書評を見てみても、夢野久作『ドグラ・マグラ』の主人公は呉一郎だという意見が多く、私も呉一郎が主人公だと思います。
ですが、呉一郎とモヨ子のあいだにできた胎児が主人公だという意見もあります。で、「この小説の内容はすべて、胎児が見た夢である」という、いわゆる夢オチと解釈するわけです。
呉一郎と胎児。どちらを主人公に設定しても、おもしろい解釈ができそうですね。
とりあえず今回は、呉一郎が主人公だと仮定して話を進めます。
(6)どの部分が正気で、どの部分が離魂状態なのか?
呉一郎は離魂病にかかっています。正木博士の言葉を借りるなら、呉一郎は夢と現実を同時に見ているのです。
呉一郎の離魂病は、『ドグラ・マグラ』を読解するうえで非常に大切です。
というのも、呉一郎の精神が正常であると考えて読み進めていくと、物語が必ず破綻してしまうからです。つまり、矛盾に突き当たり、堂々巡りになってしまうのです。
以下に、その「破綻」の一例をあげてみましょう。
『ドグラ・マグラ』における「破綻」の一例
呉一郎が前頭部に痛みを感じた瞬間を思い出してみてください。正木博士との会話中、解放治療場の風景を眺めていた呉一郎は、傷のない前頭部に、突如として痛みを感じ始めるのです。ちなみに、呉一郎が正木博士と会話したのは10月20日です。
これっておかしいですよね?呉一郎は10月19日に壁に頭をぶつけ、流血、呼吸停止し、死にかけているのです。それほどのケガの翌日なのに、頭に包帯すらしておらず、コブもできていない。明らかにおかしいです。
これは本文には書いてありませんが、私が思うに、10月20日に呉一郎が正木博士と会話したとき、呉一郎は頭に包帯を巻いていたはずなのです。そう読むのが自然ですよね。
それなのに、呉一郎は散髪してもらったり、風呂に入れてもらったりしている。「頭の傷はどこへ行ったの?」という疑問が浮かんで当然なのです。
以上のように『ドグラ・マグラ』では、主人公が語る内容を事実として信用できない部分があるのです。これはトリック小説の技法で、「信頼できない語り手」とよばれています。
呉一郎は「信頼できない語り手」なので、私たち読者が、「おそらくこうであろう」というふうに勝手に判断して読んでいく必要がある。それが『ドグラ・マグラ』という小説なのです。
そこで「どの部分が正気で、どの部分が離魂状態なのか?」を考えなくてはいけないのです。
★『ドグラ・マグラ』は思考訓練の題材
以上のように、小説『ドグラ・マグラ』には不確定要素が多く、さらに主人公が「信頼できない語り手」であるため、いろいろな解釈が可能です。本文を読み返しつつ「ああでもない、こうでもない」と頭をひねってみるのも楽しいですよ。いい思考訓練になると思います。
『ドグラ・マグラ』は読んで終わりではなくて、読み終わったあとも考えさせられる小説なのです。たとえば、ドストエフスキーの『罪と罰』も、このような小説に分類されます。
⇒ドストエフスキー『罪と罰』 あらすじは?相関図で完全理解!
この記事があなたの『ドグラ・マグラ』解釈の参考になればうれしいです。
初めまして。
遅ればせながら拝読し、感動冷めやらず
書評書かれてる方のページをはしごしております。
さて。
私の一読後の推理を披露させてくださいませ。
作者の思いがどこにありしや?との観点からの、私の推理は
この物語は
モヨ子の腹に、若林博士を種として宿る胎児の夢
であります。
若林博士は、呉一郎を中心とする事件の詳細な調査の為、呉一郎のことは非常に詳しく理解していると解釈できます。
その記憶を、細胞に持った受精卵の、無限の悪夢の一つがこのお話です。
「なんだそりゃ?」感の非常に強い、変なシーン。
黒づくめ若林博士による深夜の替え玉解剖。
この一連の作業が終わった後の、異常な若林博士の挙動。
昏睡状態のモユ子嬢に欲情し、やらかしてしまったという伏線と解釈しました。
おそらく、胎児は、もっといろんなおぞましい夢をみております。
その中の一つ「呉一郎編」とでもいうべきものがこの作品と思われます。
ネットをざっとはしごした限り、そういう意見を目にせず、少々残念に思っております(^^;
自分では結構気に行ってる面白意見。
恥ずかしながら、場所をお借りして留めさせてくださいませ。
ありがとうございました。
到底、私には思いつかない発想でとても参考になり、興味深く思いました。若林博士の遺体すり換えオペは、呉一郎(仮)にモヨコを合わせるための、つじつま合わせ程度にしか考えてなかったものですから。(以下、主人公の少年は一郎とします。)
中三の夏に一度読み、消化不良でそのまま…先日、数年振りに読み返しまして、感じたところ、私個人の推察を述べさせていただきます。
まず主人公についてです。巻頭歌、『胎児の夢』、ラストの胎動に関連する発言など、様々な伏線から胎児であるとして良いでしょう。問題はその親ですが、普通に一郎とモヨ子と私は考えます。
若林博士が父という考え、ご慧眼ですが、街へ飛び出した時の記憶があり全体を通して主観であることからそのように判断しました。
そして、この二人が子を授かったということはつまり、結婚したということになります。義務からは人を愛せないという彼の意志、正木博士の言葉(信用できるか分かりませんが)を踏まえれば、一郎は自身の生い立ちなど一切の記憶を回復したのでしょう。そして、キチガイから正常な人間へと戻り、ハッピーエンド。ちゃんちゃん
というわけです。
胎児が悪夢しか見ないという点を考えればこういう見方もできなくはないかと。そして、この悪夢は呉一郎が九大精神病院で過ごした一期間の記憶なのだと。
※ただ残念ながら、実験の意図や結末に関してはまだよくまとまっていません。
あ、一応2人が行為に及んだ時期について補足しておきますね。
モヨ子が首を絞められ、一時的な仮死状態に陥ったのが大正15年4/25。その夜、一郎がモヨ子を呼び出しますが、彼女は契りを結ぶと勘違いして大変恥じらったとあるので、それ以前に2人が関係を持ったことはないでしょう。(許嫁ですし、当時の風習から考えても不自然ではありません。)仮に、彼女が意識を失った状態で妊娠させられたとしても、一郎の夢中遊行の中身は同年10/20のものであり、その時点でモヨ子は妊娠およそ6ヶ月なので、彼が彼女の身ごもったお腹に気がつかなかったということはまず、あり得ないでしょう。また、若林博士のオペが行われたのは4/26なので、彼が父親である可能性も同時に排除されます。
以上の点から、彼らの胎児は少なくとも10/20以降。すなわち、自然に考えれば、2人が合意で行為に及べる状況になってからでなくてはならないと判断しました。
アッハッハッハッハッハッハッハッ……。ああア――ッ。くたびれたアッ……ト……。